読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

常日頃+カムアゲイン+

個人的な感想とか日記とか。

佐竹氏に 関する歴史学習会

お出かけ 展覧会

博物館での徳川将軍家と東北の企画展の繋がりで

佐竹氏に 関する歴史学習会に参加しました。

上記の記事でも書いたのですが、

丁度小野寺氏の居城や彼らの繁栄と滅びに関する場所に遊びに行った

ばかりだったので、タイムリーに知りたかったことを理解する機会でも

ありまして、数重の意味で面白かったです。

関ヶ原の戦時における中央と東北関係に関する勉強会だったので

疑問はほぼ解けた、という。ありがたいタイミングでした。

 

地元の武将の歴史(佐竹さん)、今までに言われている左遷とは

ちょいと違うみたいだよ、という説なんですが、

凄くわかりやすい流れがあったのでむしろ納得してしまいたい。

なんでも4年前に徳川宗家の方が、左遷じゃないんですよ、と

仰っていたそうです。大変興味深い。

(先生からの又聞きですが、嘘はつかないと思います笑)

 

左遷説が大きく描かれているのが三河物語なんだそうですが、

あれを書いた大久保彦左衛門という方が、どうやらいわゆる

報われない旗本だったらしく、出世から外れてしまった人だとか。

なので出世争いで負けた本多さんのことを「僻んだ悪口が多い」と

書いてみたり、旗本困窮時期ということもあり、

ある意味国替えで成功してしまった佐竹氏の悪口も書いた、

みたいな説が出ているそうです

とりあえず早い話が三河物語関ヶ原当時の家康さんの考えとは

同一視は出来ないそうです。世情が繁栄されている…。面白い…。

 

簡単に言うと、関ヶ原当時の佐竹氏に明白な落ち度はないらしい。

佐竹氏の来歴に秀吉に可愛がられていたというものがあって、

水戸城も秀吉から貰ったもの、ということで、豊臣色が強すぎた。

だからこそ今後は徳川勢という姿勢を明示するために

宛行状を書いた可能性があり、ある種の禊として国替えを経てから

徳川グループに仲間入りを果たしたらしい、という話、

先生の話し方が面白くて笑ってましたが、確かに土地代えで藩主が

うまいこと統制が取れるようになったらしく(その前はちょっと

身内でゴタゴタしてたそうです)、生き生きとやり取りしてた、と

聞いてそういう事情もあるんだなぁ、と感心しました。

 

つまりノット左遷、再編入措置!ということらしい。

というより、その当時の徳川家に勝手に諸大名の処分をする力は

まだなかったそうなので。佐竹はある意味特別枠だったとか。

(その辺りも詳しく聞いたのですがとりあえず割愛。面白かった)

二重公儀体制を作ろうとしていた、という説も初めて聞いたので

そんなことが!とわくわくしました。

いろんな思惑や説を聞くのはとにかく面白いんです。好きなんです。

なので、思い返す度に楽しいです。他にもいろいろ勉強になりました。

自分なりに内容をまとめて思い返すと、たくさんの部分がスムーズに

繋がっていく感覚があって、それがとても好き、と再認識です。

興味が沸いてからの方が理解力が増す方なので、

次はさらに別のことがスムーズに頭の中に構築出来そうです。

 

というわけで、こういった機会に恵まれたことがありがたいなぁと

改めて思ったのでした!また何かしらの学習会に参加したいです。

ありがとうございました!